すみくにぼちぼち日記

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江戸時代の三大改革と田沼の政治の内容, 違い,覚え方とは-順番と年号は語呂合わせで覚える

江戸時代に行われた3大改革として知られる享保の改革寛政の改革天保の改革と田沼の政治。

これらの改革は、誰が改革を行ったか、どの順番で行われたのかなどを問われることが多い重要な事柄です。

この記事では、そんな三大改革と田沼の政治について、その内容や順番、覚え方、語呂合わせなどをご紹介します。 

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江戸時代の三大改革と田沼の政治の内容と覚え方-順番は語呂合わせで覚える

江戸時代の重要な改革である三大改革と田沼の政治は、1700年第初頭から1800年代に行われた政治改革です。

三大改革である享保の改革寛政の改革天保の改革は質素倹約を基本とした改革で、田沼の政治は商業を奨励した政策です。

享保の改革は唯一将軍主導で執り行われた政治改革で、将軍徳川吉宗が主導しました。寛政の改革は老中松平定信天保の改革は老中水野忠邦、そして田沼の政治は老中田沼意次が先頭に立ち進められました。

ここからはそれぞれの改革が実行された順番や、異なった特徴を持つ3つの改革と田沼の政治の内容についてみていきます。

 

順番の覚え方の語呂合わせ

まず初めにご紹介するのは、江戸の3大改革の順番の覚え方。

順番を語呂合わせで

 

北の寒天(きたのかんてん)

 

と覚えます。

 

き:享保の改革(1716年)

たの:田沼の政治(1772年)

かん:寛政の改革1787年

てん:天保の改革(1841年)

 

江戸幕府が開かれたのは1603年です。1600年代はいわゆる創成期であり、仕組みや制度が作られた時期です。

1700年代に入ると、これまでの100年間の仕組みを見直そうという動きが起こり、政治改革が執り行われるようなりました。

現代でも、100年前にできた法律や慣習はどんどん見直されますよね。同じ感じで、国が成熟してくると改革が行われるようになります。

ですので、1700年代は改革の年。1700年代はじめ頃に享保の改革、後半に田沼の政治と寛政の改革が実施されました。

1867年に江戸幕府は終わりを迎えるのですが、幕府が終焉するというのは力が弱まったということ。そんな幕府を立て直したいという気持ちから1841年に最後の改革である天保の改革が行われました。

まとめると、江戸の三大改革と田沼の政治は、「北の寒天」の順番で実施され、改革期の1700年代初頭、後半、幕府の力が衰えた1800年代中頃に実施された改革です。

 

三大改革と田沼の政治の内容と覚え方

それでは、三大改革である享保の改革寛政の改革天保の改革と田沼の政治の内容を確認していきましょう。

改革と実行した人物の組み合わせの覚え方や年号を用いた語呂合わせも併せてご紹介します。覚え方は人それぞれですが、まずは上で紹介した大まかな流れを頭に置いておいて、それぞれの改革が誰によって実施されたのか、どのような改革だったのかを覚えていくといいかなと思います。

ちなみに、詳しい年号を覚えたい場合は語呂合わせもおすすめ。語呂合わせは自分で作りながら覚えると、頭によく入るかなと思いますが、私が年号を覚えたときの語呂合わせもご紹介します。

 

享保の改革-徳川吉宗

享保の改革は1716年に将軍である徳川吉宗によって主導された政治改革です。将軍自らが旗振り役となって進めた改革はこの享保の改革だけで、ほかの3つ(田沼の政治、寛政の改革天保の改革)は、時の老中によって実行されました。

年貢を増やして幕府の財政を安定化させることを目的に実施された改革です。

結果、幕府の財政は好転し、幕威も回復し、それなりの成果があがったのですが、重税や厳しい倹約令によって農民や町人の不満がつのり一揆の回数も増加してしまいました。

 

享保の改革の内容

定免法 (じょうめんほう)

 -天候による米の取れ高の変動にかかわらず一定量の年貢を徴収

・四公六民だった年貢率を五公五民に

・上米の制 (あげまいのせい)

 -各藩に対して1万石につき100石の割合で幕府に献上させる

 -参勤交代の江戸在府期間を1年から半年に緩和

・足高の制 (たしだかのせい)

 -禄高が低い人材の禄高を職についている期間中増やす(職の最低禄高を満たす為)

・目安箱の設置

・相対済令 (あいたいすましれい)

 -金銭貸借に関する訴訟を当事者どうしで行わせ奉行所の負担を軽減

 

享保の改革の主な実施事項の半分以上が年貢(米)に関するものだということが見て取れると思います。
江戸時代というのは、米が価値を持つ封建制度のもと、米のやり取りで社会が成り立っていました。例えば、「加賀百万石」という言葉が意味する「百万石」は、お米がどのくらいとれるのかということを表した数字です。ちなみに百万石は1年間に100万人分の米がとれるということだそうです。
米というのは田んぼからとれるものですから、米を得るには土地が必要となります。その土地の支配権を与えたり貰ったりして主従関係を結ぶのが封建制度という国家体制です。つまり、米に価値があるからこそ封建制度が成り立っているといえます。

一方で、江戸時代中期になると、物と物をお金を使って交換する、商品経済が普及してきます。戦争も無いので物が余る。物が余るとそれを欲しい人に譲る。その時に使用されたのが通貨なのです。

するとお金があると欲しいものを自由に手に入れることができるようになります。人々はお金に価値を置くようになり、米の価値が下がっていくので(民衆が米に価値を置かなくなるので)、同時に幕府の権威も下がってきてしまうのです。

徳川吉宗は従来の封建制度を保つためにも、年貢をふやし米価を調整するなどして幕府財政の再建を図ったと言えます

 

人物と改革の組み合わせ覚え方

享保の改革は、漢字に口が2つ入っています。名前に口がつくのは徳川吉宗の吉の字。なので、享保の改革徳川吉宗の改革です。

もう一つの覚え方として、三大改革と田沼の政治の中で唯一将軍が実施したのが徳川吉宗享保の改革です。

なので、

最初の三大改革=享保の改革=将軍の改革=徳川吉宗

と覚えるのもいいかなと思います。

 

語呂合わせ

「今日特に、ひな形つくるの重労働」

「今日(享保の改革)特に(徳川吉宗)17(ひながたつくるの)16(重労働)、享保の改革

三大改革の寛政の改革天保の改革はこの享保の改革をリスペクトして作られた改革案でした。つまり、享保の改革がそれぞれの改革のひな形だったのです。しかし、何事も0から1を生み出すはとても大変。

ですので、ひな形を作るのは重労働で、そのひな形が享保の改革だったのです。

 

田沼の政治-田沼意次

1772年に田沼意次によって実施された政治を田沼の政治と呼びます。商業を重視した政策で、華やかな庶民の暮らしが生まれた時代でもあります。

一方で汚職問題が取りざたされるなど、批判もあった政策です。

 

田沼の政治の内容

・株仲間の結成を奨励

・俵物(海産物)の輸出を増加

蝦夷地の調査

 -蝦夷地(北海道)を開拓し、ロシアとの通商を深めようとした

印旛沼(千葉県)の干拓利根川の氾濫で失敗)

 -農地を商人の支援で開拓し、米の増産を図ろうとした

 

株仲間というのは、江戸時代に同業者どうしで結成された組合のこと。いわゆるギルドのようなものです。

米と土地を中心とした封建制度の社会からお金を介した商品経済の社会へと変化する中で、商業を活性化させ、運上金という税金や、冥加金(みょうがきん)という業務を独占的に行うことに対する御礼を受け取ることで、幕府の財政を回復させようとしました。

つまり、これまでの米と土地をもとにした価値観(封建制度)から、お金に価値を置く、近代型の価値観に変化していった政治が田沼の政治なのです。

他の改革のように農民に米をたくさん作らせ年貢として納めさせることよりも、町での商売を推奨し税金を取って国庫を潤そうとしたと言えます。

  

人物と改革の組み合わせ覚え方

田沼の政治は、そのまま田沼という名前が入っているので簡単。田沼意次が行った政治です。

 

語呂合わせ

「柔軟な日本を作る田沼の政治」

「1772(じゅうなんなに)本をつくる、田沼の政治、田沼意次」です。

商業に力を入れた田沼の政治。その政治はこれまでの農業重視の日本政治をより柔軟な発想で変化させた政治でもありました。柔軟な日本を作った政治が田沼の政治です。

 

寛政の改革-松平定信

失脚した田沼意次の老中の位を引き継いだ白川藩主(福島県松平定信1787年から施した改革。祖父である徳川吉宗が実行した享保の改革に倣って倹約を是とする改革を実施しました。

緊縮財政や学問・風俗の取り締まり・飢饉に備える備蓄政策などが中心の改革です。

1716年の徳川吉宗享保の改革では封建制度に依る幕府の立て直しを図ったのですが、田沼の政治で商品経済が推進されるようなりました。松平定信寛政の改革では再び封建制度(米と土地)に重きを置いた改革で幕府政治を立て直そうとしたのです。

 

寛政の改革の内容

・囲米という米備蓄政策

・七分積金

 -町民の町会費の7割を積み立てし貧民を救済

・旧里帰農令

 -都市部の農民を故郷へ帰京させ、農地の耕作に従事させる

・棄捐令 (きえんれい)

 -旗本や御家人の借金を棒引き(免除)や減額した(借金の減免)

・寛政異学の禁

 -朱子学だけを奨励

・倹約の徹底

 

田沼意次に代わって松平定信が老中に就任した際には、

「田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水」

汚れた田沼時代から一新して清い世の中にしてくだされ、白河藩主(松平定信)様、

という歌が詠まれるほど、腐敗した政治を一掃してくれることが期待されていたのですが、結果としては残念な結果に終わったしまったといえます。

というのも、寛政の改革は、倹約が厳しすぎて

「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

という狂歌が詠まれるなど、民には不人気だった改革でした。

白河というのは、白河藩主だった松平定信を暗示する言葉。寛政の改革自体が前の老中田沼意次が目指した重商政策(商業を重んじる)の対極を行く改革であった寛政の改革でした。

特に倹約を求められる改革は、生活も豊かで文化も花開いた以前の華やかな田沼時代対極の生活を庶民に強いる改革でした。

そのため、上で紹介したような、

汚職などが横行した田沼時代は濁っていたけれど、清廉潔白を求める白河の政治(松平定信の政治)では、魚(庶民)は暮らしていけない、華やかだった田沼時代が恋しい」

という、田沼時代を懐かしむ声が生まれたのです。

 

 

人物と改革の組み合わせ覚え方

寛政の改革の「政」の字を見てください。「正」という漢字が入っています。松平定信の「定」の字にもご注目。よーくみるとウ冠の中身が「正」に似てますよね。なので、寛政の改革松平定信です。

流れで覚える方法もあります。松平定信徳川吉宗の孫。つまり吉宗が実施した享保の改革を参考に寛政の改革を行いました。

彼が白河藩主になったきっかけは実は田沼意次を批判し左遷されたからという理由があり、その因縁もあってか、松平定信田沼意次のあとを引き継いで老中になり、田沼意次が行った政治の反対を行く、享保の改革に似た改革を実行しようとしたのです。

 

語呂合わせ

「否!華やかなさは完全に抹消」

「17(いな)87(はな)やかさは、完全に(寛政の改革)、抹消(松平定信)」

華やかだった田沼意次の田沼の政治を完全に否定した政策という雰囲気を語呂合わせに盛り込んでみました。

 

天保の改革-水野忠邦

老中水野忠邦が、幕府の財政を立て直そうと1841年から実施した改革。

享保・寛政の政治に復帰するように努力せよ」という覚書が発行されるなど、先の2つの倹約を重視する改革を見習って施行されましたが、それらの改革よりも格段に厳しい改革として不評で、失敗した改革として有名な改革です。

 

天保の改革の内容

・贅沢の禁止・倹約・風俗取り締まり

 -衣服・櫛などから高価な料理や菓子まで制限

・株仲間の解散

・人返し令

 -江戸の農民を地元へ帰京させた(旧里帰農令と同じ感じ)

・上知令(あげちれい)

 -江戸周辺の大名・旗本の領土と別の場所の幕府の領土を交換

印旛沼干拓工事を再開(失敗)

 

贅沢品を制限するなど、倹約を是とする改革を実行した水野忠邦は、本人も倹約を行っていたそうです。ただ、天保の改革はほぼすべて失敗に終わっており、老中水野忠邦は民衆からだけでなく旗本や大名たちからも非難されながら老中の座を退きました。

ちなみに、同じように失敗が多かった寛政の改革で実施された囲米という米備蓄政策で蓄えられていた米が、天保の時代に起こった天保の大飢饉で役立てられました。

 

人物と改革の組み合わせ覚え方

私は上の3つを覚えて、あとは余った天保の改革水野忠邦がセットと覚えていました。

もしくは天保の天と水野の水をとって「天水(あまみず)」と覚えるのもいいかなと思います。

ちなみに、なぜ水野忠邦がこんなにも不人気で質素倹約の天保の改革をしたのかというと、先代の11代将軍徳川家斉(いえなり)な超絶浪費家で、女性好きで、50年もの間、幕府のお金を散財し続けた結果、その子徳川家慶(いえよし)の代で何とか幕府の台所事情を回復させたいと思ったからです。

 

語呂合わせ

年号と合わせた語呂合わせは、

「いや、よい、天水(あまみず)はタダ!」

「1841(いや、よい)、天(天保の改革)、水はタダ(水野忠邦)」

です。

非常に厳しく庶民に倹約を求めた天保の改革。老中水野忠邦自らも率先して倹約していたことを踏まえて、水野忠邦のセリフ風の語呂にしてみました。

家臣が「水野様、お水を買ってまいりましょうか」と尋ねたところ、水野忠邦は雨が降っているのを見て、

「いや、儂は天から降ってくるこの水(雨)を飲むから良い、タダだからな」

と言っているシーンを想像しながら覚えてみてください。

 

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終わりに

この記事では、江戸時代の三大改革と田沼の政治について、その覚え方や内容、年号の語呂合わせなどをご紹介しました。

三大改革は倹約を目指した改革、田沼の政治は商業を重視した政治として、1700年代から1800年代中盤に施行されました。

まずは「北の寒天」で三大改革と田沼の政治が行われた順番を覚えて、流れや改革が実施された背景を頭に入れると混乱せずに覚えることができると思いますので、ぜひ覚えてみてください。

 

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※ローマの五賢帝の覚え方はこちら

sumikuni.hatenablog.com

 

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