ホセ・ムヒカ 元ウルグアイ大統領が政界引退を発表したとのニュースが飛び込んできた。ムヒカ元大統領といえば、「世界一貧しい大統領」として有名な大統領。2012年のリオ会議で人々の心に深く刻まれる名スピーチを行った人物でもある。
また、2016年に日本を訪れ大きな話題となったことは記憶に新しい。
この記事では、そんなホセ・ムヒカ元大統領がどのような人物だったのか、また、彼の功績やスピーチについて紹介する。
- ホセ・ムヒカ 元ウルグアイ大統領政界引退-世界一貧しい大統領の功績やスピーチを紹介
- ホセ・ムヒカとは-彼が大統領だった時
- 拡大戦線(Flente Amplio)政権の誕生前夜
- 左派政権 拡大戦線党の躍進と新政権の誕生
- ウルグアイにおける左派政権の政策とは
- Frente Amplioの政策の評価
- 世界でいちばん貧しい大統領ホセ・ムヒカのスピーチ
- 終わりに
ホセ・ムヒカ 元ウルグアイ大統領政界引退-世界一貧しい大統領の功績やスピーチを紹介
今回ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の政界引退のニュースを読んだとき、「自分が彼の記事を書きたい」と強く思った。
私とムヒカ大統領の出会いは2011年のこと。当時私は大学でラテンアメリカを研究するゼミに所属しており、卒論の研究テーマを考えていた。
ラテンアメリカ研究の花形といえば成長著しいメキシコや南米の雄ブラジル、アルゼンチン、麻薬戦争で有名なコロンビア、そして社会主義国家キューバだ。
ウルグアイというのは、人口340万程度の小国で、わざわざウルグアイを研究テーマにする学生など私の他には何処にもいなかったと思う。当時はウルグアイ研究をされていた教授もすごく少なく、和歌山大学の内田みどり先生の研究を読み漁った記憶がある。
その頃のラテンアメリカは新自由主義への反発から、左派政権の国々が次々と生まれ、「反米大陸」とあだ名されるほどの左派大陸であった。
コレア率いるエクアドル、モラレスが政権を担うボリビア、そしてチャベスのベネズエラ。急進左派がラテンアメリカを牛耳り、よく言えば原住民主義と福祉国家を目指した優しい政治、悪く言えばポピュリズムとも取れる扇動的な政治を行うのが潮流だった時代だ。
そんな中、ウルグアイにも史上初めて左派政権が誕生した。Frente Amplio(拡大戦線-ふれんて・あんぷりお)という名前の政党が第一党に躍り出たのである。
私は、ウルグアイの政治に興味を持った。きっかけは「ゲリラ出身の大統領」であるホセ・ムヒカだ。ムヒカは左派政権Frente Amplioの2代目の大統領に就任したが、その政治姿勢は他のラテンアメリカ左派諸国とは一線を画す、経済と分配のバランスを重視する政策であった。
そんな一風変わった左派(中道左派というべきか)Frente Amplioの魅力、そして政党を率いるホセ・ムヒカの魅力を目の当たりにした若い頃の私は、彼と出会った瞬間、ウルグアイの左派政権を研究しようと決めた。
その後、研究のためにウルグアイへ渡航したり、ウルグアイの研究者の論文を何十も読み込み、論文という形で纏めることなったのである。
ホセ・ムヒカとは-彼が大統領だった時
ホセ・ムヒカは1935年にウルグアイの首都モンテビデオの貧困家庭に生まれた。彼は政治的な活動を積極的に行い、4度の逮捕も経験。1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監されている。
さて、そんな苦難のときを過ごしたムヒカだったが、2009年11月の大統領選挙に当選。第40代大統領となり、2010年3月1日より2015年2月末の約5年間を大統領として職務に当たった。意外にも、大統領を1期しか務めていない。
彼を語るエピソードとして有名なものは、「質素な家に住み、農場を耕し、お給料を寄付する」と言った姿勢だ。
大統領だった当時、彼の行動は意外にも評価されなかった。というのも、このあまりに印象的な行動が、「ポピュリズム」ともとられ、私が師事していた教授陣からも「あんな海のものとも山のものとも分からない人を研究するなんて」という言葉をかけられたものだ。
ただそんな彼も2016年に来日した時には世界中から評価される大統領となった。もちろん私にあの言葉をかけた教授たちがムヒカ来日時にSNSで彼を賞賛することとなろうとは、2011年時点の私には知るよしも無いのだが。
さて、それでは彼の何が良かったのか、私は確かにムヒカがとった慈善的な行動には一定の意味があったと思っている。しかし一方で、彼の行った政策自体はもともとFrente Amplioを率いていたタバレ・バスケスの目指した政治を引き継いだものであったのだ。
※世界でいちばん貧しいムヒカ元大統領の話は映画にもなっている
拡大戦線(Flente Amplio)政権の誕生前夜
ムヒカ元大統領が所属した、拡大戦線党(Frente Amplio、FA)は2004年の選挙で念願の勝利を手にした。
ウルグアイでは1828年の独立以来170年以上にわたり、右派である、「都市部で支持されてきたコロラド党」と「内陸部で支持されてきた国民党」が二大政党として政権を担ってきた。尚、ウルグアイの内陸部は上の写真の様な風景が広がる田舎だ。
1980年代に新自由主義経済政策を導入し、第三次産業に労働力が流れたウルグアイは1990年に入って格差が拡大。そして隣国のアルゼンチンが2001年に、ブラジルは1999年に経済危機に陥り、その影響を受けインフレや失業率が上昇。
また、アルゼンチンの債務支払い停止による信用不安から国民が預金を急激に引き出し、金融システムは崩壊の危機に直面。そのような状況の中で、子どもや青少年といった若い世代の貧困問題が深刻化していったのである。
左派政権 拡大戦線党の躍進と新政権の誕生
拡大戦線は政府が新自由主義的経済政策を実施し格差が広がっていく中、1989年にモンテビデオの県知事選挙で勝利。その後勝ち続け、政党関係に変化をもたらしていた。そして着々と都市部での支持を獲得していったのである。
2004年、節目となった大統領選挙が行われた。右派与党のコロラド党はバッジェ大統領の政権下、2003年には対外債務問題の解決や堅実な財政・金融政策に取り組み、マクロ経済の安定化に弾みをつけた。
一方で、左派連合は、右派与党コロラド党・右派野党国民党の両党の伝統政策を批判しつつ、貧困問題に対する特別な施策とともに税制改革や効率的な産業構造を目指した改革などを提起し、経済政策の変更の必要性をアピールしたのである。
伝統的な二大政党が統治してきたウルグアイにおいて、革新を掲げる左派政党が力を伸ばし、様々な社会問題が勃発する中行われたこの選挙は、近年の経済政策の評価ばかりでなく、新自由主義的経済政策の長期的な結果の可否判断をも、「二大伝統政党か」、「左派か」の選択という形で、国民に問うものとなったといっても過言ではなかったのである。
結果、左派連合Frente Amplioがついに過半数を超える50.45%の票を獲得。同党のバスケスが建国以来初の左派政党の大統領として就任した。2000年以降、ラテンアメリカで左派政権が台頭する中、ウルグアイでも左派連合である拡大戦線が第一党となったのである。
ウルグアイにおける左派政権の政策とは
現在のムヒカ人気を見て分かるとおり、ウルグアイにおける左派政権主導の政治は概ね成功であった。
2005年にタバレ・バスケスが大統領として就任して以降、ウルグアイではFrente Amplioが第一党を守っており、現在は第二次タバレ・バスケス政権となっていることからも、国民に支持されていることが良く分かる。
さて、ではそのウルグアイ左派政権の何が良かったのか。理由は2つある。
まず、バスケス政権の社会政策であるPANES、Plan de Equidadという左派的な社会政策。
そして、税制改革による直接投資の誘致、輸出入相手国の多角化と経済成長という自由主義的な経済政策の2つだ。
PANESとPlan de Equidadというのは、格差を是正するための政策のことで、貧しい層に富を分け与えるという政策だ。例えば、CCTとクーポンの配布といった政策によって、現行の貧困状態は大きく改善されたし、中長期的な視野での支援である就業支援などによって失業率も解消された。
自由主義的な経済政策も失業率改善には大きな役割を果たした。例えば、税制改革における外国資本の直接投資の増加、輸出入も増加し、これが社会主義的な就業支援などとうまく連動し、失業率の改善や国民の所得の増加をもたらしたのである。
ちなみに、日本が昨今取り組んでいるITの教育への活用だが、実はウルグアイではセイバルプランという政策が2007年に開始された。同政策は初等教育を受けている子ども達にコンピュータを配るというもので、2010年までに36万9000台のノートパソコンを小学生に無料で支給した。またカルダレスプランという政策も開始されている。これは低所得層に電話、テレビ、インターネットの環境を提供するというものであった。
Frente Amplioの政策の評価
政策の結果指標については下記データを参考にして頂きたい。
尚、データは筆者が2012年に執筆した卒業論文から引用している
ウルグアイにおける失業率の変化
失業率を見ると、年代別失業率も2007年から2010年にかけて改善していることが分かる。
また、2003年から2011の動きを見ても16.9%から6.3%への大幅な改善が見られる。
失業率の変化
|
2003 |
2004 |
2005 |
2006 |
2007 |
2008 |
2009 |
2010 |
2011 |
失業率(%) |
16.9 |
13.1 |
12.2 |
11.6 |
9.6 |
7.9 |
7.6 |
7.1 |
6.3 |
(出所)外務省ホームページhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uruguay/data.html
ウルグアイのGDPの変化
GDPの変化としては2003年から2011年で3倍ほど増加していることが見て取れる。
貧困と収入、不平等と収入の変化
こちらは収入と貧困、不平等の変化のグラブだ。青いラインが収入、赤いラインが貧困、緑のラインが不平等の推移を表している。
(出所)Verónica Amarante,Andrea Vigorito(2012:02)
青いラインは2003年を最底辺として政権交代後急回復しているし、赤いラインの貧困は逆に2003年をピークに落ち着いてきていることが見て取れる。不平等については2006年をピークに改善傾向が見て取れる
ウルグアイ左派政権の実績総括
上記のグラフを見ると、左派政権の実施した
①社会政策であるPANES、Plan de Equidadという左派的な社会政策。
②税制改革による直接投資の誘致、輸出入相手国の多角化と経済成長という自由主義的な経済政策
の2つの政策は概ね機能していたことが分かる。また、国民が2020年現在でも同政党を支持していることからも国民の信頼を勝ち得ていることが見て取れる。
総括として、左派政権Frente Amplioの政権運営は評価しても良いのではないかと考えている。
世界でいちばん貧しい大統領ホセ・ムヒカのスピーチ
さて、ウルグアイ史上初めての左派政権で2代目大統領となったホセ・ムヒカ。彼の前の大統領だったバスケスの政策を踏襲したムヒカの政治は確実に役割を果たした。
だが、彼の功績はウルグアイ国内の政治だけには留まらない。中でも、特に大きかったことは、2012年のリオ会議(地球サミット)で行った名スピーチだ。
以下はホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領がスピーチの一部抜粋だが、一度目を通してみてほしい。
午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?
中略
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。
中略
発展が幸福の対向にあってはいけないのです。発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。
環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません
※ムヒカ元大統領のスピーチの絵本はこちら
終わりに
彼が自国のために行った政治は確かに意味があることだった。
しかし、それ以上に私たちにムヒカ元大統領が残してくれたことは、彼の生き様であり、彼の考え方そのものだった。
幸福とは何か、不幸とは何か、そんなことを考えるきっかけを与えてくれたムヒカ元大統領。
彼の言葉が、「足るを知ることがいかに尊いことか」を考えるきっかけとなったという方も多いのではないかと思う。
彼の暮らし方、心、考え方、生き方が、ホセ・ムヒカが残した最大の功績だったのではないか、そんなことを考えながら、今日終止符が打たれた彼の政治人生に思いを馳せている。
※ムヒカ大統領を更に知るならこの本がおすすめ