先日NHKの番組『あさイチ』でゲームを擁護してくれる特集が組んであって嬉しくなりました。香川の条例でゲームが少し劣勢に立たされた感があった中の朗報です。
私はゲーム大好きな超絶ゲーマーです。1日12時間ゲームすることなんで当たり前。土日予定がない日はずっとソファーから動かずゲーム。寝食を忘れてゲーム、大学生4年生の夏休みには集中講義で授業に出たとき以外はずっとゲームをして過ごしていたくらいゲームが大好きなのです。
今回、この記事では、そんなゲームをこよなく愛する私がNHKのゲーム擁護を援護射撃するべく、独自に構築したゲーム擁護理論を披露させていただきたいと思います。
ちなみに、今回の記事は真面目なお話は一切出てこない、ただただゲームへの愛を訴える内容となっています。
※真面目なお話の記事はこちらなどをご参照ください。
- 世に言う「ゲームは諸悪の根源説」
- 本や映画に勝るとも劣らないクリエイティブな能動的活動
- 無限の失敗と試行錯誤を繰り返すシミュレーター
- 至高の音楽と映像美で出来上がった芸術作品
- 極めて高品質なストーリーを体感できる文学作品
- 笑いあり涙あり友情ありの総合エンターテイメント
- ゲームをした時間は無駄ではなく成長するために必要
- 終わりに
世に言う「ゲームは諸悪の根源説」
ゲームは悪!これが多くの親御さんたちの共通認識でしょう。ゲームをすると教育に悪い、ゲームをすると中毒になる、ゲームをすると健康に悪い、ゲームをすると暴力的になる、ゲームをするとゲーム障害になる…
一見、なんとなく、ゲームをすると悪い結果につながるように見えます。しかし皆さん、実はこれらの理論全て、映像コンテンツをゲームに取られるのを防ぐために流布された、全く根拠のないでたらめなのです。ゲームをスケープゴートにして、もっと悪い影響を及ぼしているコンテンツが見られなくなるのを防ぐこと。それがこの「ゲームは諸悪の根源説」が作られた理由なのです!!!
とは流石に言いませんが(ゲームにも悪い面もあると思うので)、色々ゲームが悪く言われて悔しいので、今回はゲームに対する偏見がなくなるような、ゲームの良いところ(主観)を沢山ご紹介していきます。
※ちなみに私はテレビや映画も大好きですので、他の映像コンテンツに対する悪意はありません。ゲームをする時にはゲームをしながらテレビを見ながらネットニュースを見ながらSNSしながらマンガを読みます。
本や映画に勝るとも劣らないクリエイティブな能動的活動
私は本が好きです。本は一度読み始めると止まらず、待ち時間や電車、休憩時間、歩いている時でさえ読んでしまいます。1冊読み始めると1日何時間も本を読んでしまいます。
ジャンルは小説や経営系の本、ハウツー本、歴史書、美術書など何でも読みます。何故本が好きかというと、そこに知識や経験が詰まっているから、そして、小説は自分の頭のでその世界を疑似体験できるからです。
さて、ゲームも好きです。ゲームは一度始めると何時間も続けてしまいます。私にとって、ゲームも本も映画もテレビもアニメも、全て同じもの。自分の世界とは異なる世界を体感することができるメディアです。
非日常を体感できるメディアの分類
上述の非日常を体感することのできるメディアですが下記の通り分類できます。
映画:受身の疑似体験。映像や迫力を楽しむ。
テレビ・アニメ:受身の疑似体験。ストーリーを見て楽しむ。
本・漫画:受身の疑似体験。ストーリーを想像して楽しむ。
ゲーム:能動的な疑似体験。ストーリーを作って楽しむ。
このような分類です。
疑問に思われた方も多いのではないでしょうか。本とゲーム逆じゃない?と。何で本が受動的でゲームが能動的なのか。ゲームをやったことがない場合、この、通説とは反対の理論に「?」がつくのは当然のことです。
本は受動的な体験である。
本は受動的です。「読む」「想像する」という行程があるので能動的な活動だと思われていると思うのですが、実はとても受動的活動。なぜなら、どんなジャンルの本でも、読んでいる時に自分の意見や自分の決断がストーリーや説明されている理論などに反映されないから。
始まりがあって終わりがある。それが全て決まっている。それを読んで理解する、つまり筆者の考えを理解することを楽しむのが本なのです。
例えば、今読んで頂いているこのゲームについての記事が本だったとして、それを読んでいる時に、反対意見があったとしてもこの文章に影響を与えることができません。小説でも、主人公が下す決断に「いや、これは違うと思う」とは言えないのです。
ゲームは能動的体験である-自分の判断と決断で全てが変わる
ゲームは基本的に決断を下すのは自分です。自分の決断次第でハッピーエンドになったり、バッドエンドになったり、仲間になったり仲間と分かれたり。負けたり勝ったり、技を覚えられたり覚えられなかったり…
何度も何度も決断の瞬間があって、その決断一つでその後の世界が大きく変わっていきます。そのためゲーム中は常に自分で考え自分で行動するという行為を行っているのです。それはRPGでも、シミュレーションでも、格闘でも、どんなゲームでも同じです。
この能動的に、自分が主人公となって決断を下していくという行為がゲームの醍醐味であり、一番重要なゲームの良いところでもあるのです。
無限の失敗と試行錯誤を繰り返すシミュレーター
ゲームは能動的な活動だといいました。ゲームを進めるときには様々な決断がある。当然、その決断が間違っていることがあります。その決断が原因でゲームオーバーになったり、仲間と別れたり、試合に負けてしまったり…
この自分の決断の大切さを認識し、決断を正しく行うために試行錯誤できる、つまり、失敗できる場がゲームなのです。人生は決断の連続。人間の人生で下した決断は、残念ながらやり直すことができません。ゲームはやり直すことができます。そして、軌道修正することもできます。
実は、現実の人生であっても決断を覆すことはできませんが、軌道修正をすることはできます。ですから、ゲーム得た軌道修正能力は現実の世界でも発揮することができますし、決断するまでのシミュレーション能力は正に現実世界で役に立つスキルなのです。
リアルの世界でもシミュレーションが役に立つ
私は人生を高校生の時に行ったシミュレーションに沿ってすすめています。そして途中途中、何かあれば軌道修正しています。
大学にいく、留学する、就職する、大学院に行く、結婚する、海外で働く。全て高校生の時に「これからの人生こういう流れですすめよう」と考えたことをそのまま実行しています(この先の人生も10年後までは大体決まっています)。
仕事でも、「始める前に仕事は終わっている」というくらい何パターンもシミュレーションして、仕事のクローズまで予定してから仕事を始めるくらいです。ですから失敗がほぼない、というよりも失敗もシミュレーション済みなので失敗しても軌道修正できます。この、ゲームで培ったシミュレーション能力と軌道修正能力は人生において大いに役に立っているのです。
至高の音楽と映像美で出来上がった芸術作品
ゲームは芸術です。ゲームの音楽を聴くと、「あ、この歌、このゲームのこのシーンの歌だ」という感じで、音を聞いた瞬間にそのシーンが頭に浮かび上がってきます。このような経験はゲーム好きなら絶対経験したことがあると思います。
ゲームで使用される音楽は、印象深く、悲しみや苦しみ、楽しさ、嬉しさ、畏怖といった、その時の感情や情景を代弁してくれる音楽です。美しい音楽。オーケストラの演奏やピアノの演奏、歌唱など、そのままサウンドトラックとして使用することができる、素晴らしい音楽と出会うことができます。
映像も美しい。美しい空、青々と透き通る海、混沌とした暗闇の世界、真っ赤な溶岩、きらめく緑…地球上のありとあらゆる美しいもの、怖いもの、感動するものを映像で表現しているのがゲームの映像。それは最新のものだけでなく、昔のゲームにも言うことができます。壮大なスケールの世界観、考え抜かれたキャラクターデザイン…
ゲームの世界の「現実」は、現実の世界の「現実」に劣らない、いや、それを上回るくらい美しい。ゲームだから表現できる世界観にゲームの芸術性を見ることができます。
極めて高品質なストーリーを体感できる文学作品
ゲームは文学です。小説好きの私としても、ゲームのストーリー性の高さは小説のそれと同じだと思います。ゲームの中には物語があり、その物語を「読む」ということは、人の想像力を無限に高めるものです。
物語はRPGの世界だけのものではありません。サッカーゲームにも、シューティングゲームにも、どんなゲームにもその物語が詰まっているのです。
独自の世界観を持ったゲームに浸ることは、高尚な文学作品に浸ること。
様々な人生、経験を疑似体験できます。ゲームはいわばパラレルワールド、仮想世界を体感する文学作品なのです。
笑いあり涙あり友情ありの総合エンターテイメント
ゲームは遊びです。そして同時にエンターテイメントでもあります。本を読んで、映画を見て涙を流すのと同じようにゲームをして涙を流します。テレビを見て笑うようにゲームをして笑い、悪口を言われて怒るのと同じようにゲームの中で理不尽さに怒りを覚えます。
ゲームの中の友情や愛情はただの「お遊び」なんかじゃなく、本当にそこに存在している感情として自分の中で再現されます。
ゲームは自分の心の感情表現を豊かにしてくれる、そんなエンターテイメント。表現方法は異なるけれど、本も、映画も、テレビも、マンガも、インターネットも、どれも偉大な喜怒哀楽の表現の場なのです。
ゲームをした時間は無駄ではなく成長するために必要
ゲームをすることは無駄なのか。確かに、ゲームをしても数式も覚えられないし、英単語も頭に入りません。ですが、人の成長って、数学や化学、社会科や英語や国語ができるようになることだけなのでしょうか。
ゲームは勉強にはならないことが殆どです。ですが、ゲームをしている時、人の成長は停滞しているのではなく、ゲームをしながらもしっかりと成長しているのです。ですから、ゲームをした時間は無駄な時間ではなく、実は成長するための肥やしとなっている時間なのです。
ここまで紹介したとおり、ゲームは能動的なメディアであって、ゲームを通してシミュレーション能力、軌道修正する力、あきらめない力などを伸ばすことができます。美しい音楽や美術に触れ感受性を高めることができます。そしてゲームの中で喜怒哀楽に触れることに拠って、人を思いやる心、内面の成長にもつながるのです。
終わりに
今回は、ゲームの能動性、実用性、ストーリー性、芸術性、娯楽性、教育的意義について全て経験を基に、主観的に意見を書いてみました。
本稿は決して専門家の調査に基づいて書いたものではありません。ですが、一人のゲーム愛溢れる人間として声を大にして言いたいことは、「ゲーム=悪ではない」ということ。
ゲームと上手く付き合うことで、人間性を養ったり、決断力を高めたりと様々な良い効果も期待できるようになると思います。
ですから、ゲームという存在自体を忌み嫌うのではなく、ゲームと一緒に上手く過ごしていくやり方を考えながら日々を過ごしていければいいなと思います。
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- メディア: Video Game